【やまゆり園事件4年】会いたくて仕方ない…かなわぬ願い 美帆さん母が手記

【やまゆり園事件4年】会いたくて仕方ない…かなわぬ願い 美帆さん母が手記

2020年7月26日 未分類 0

神奈川県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で入所者ら45人が殺傷された事件から、7月26日で4年を迎えました。
殺害された美帆さん=当時(19)=の母親が、「7月近くになると、毎年、身体も心も重くなります。できていたことができなくなります。とても不安が強くなります。事件の翌年は7月のカレンダーを見ることができず、破って捨てていました。今は見ないように過ごしています。あの年から、私は7月が嫌いになりました。」と述べられています。この気持ちは実感としてよく分かります。

また、殺害された美帆さんの実名と写真を公表したことに対して、「後悔はしていません。たくさんの方に覚えて頂き、その方々が美帆のことを思いだしてくれる時、美帆は生きているわけですから。本当にいろいろな方々に見て頂き、覚えて頂いてありがとうございます。」とも述べられています。
この勇気には、とても感動します。
「差別は容易になくならないでしょう。でも少しでも減ればいいと思います。差別をされる方も悲しいし、人を差別して本当に気持ちいい人はいないと思います。  これからどうしたらいいのか、日々考えながら過ごしています。心穏やかに過ごせる社会になればいいと願っています。」けっして、一部の方の問題ではないと考えました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee353d649ae9ce3364f195483962cca6cbae17cf

<記事本文>神奈川新聞7月26日
神奈川県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で入所者ら45人が殺傷された事件から、26日で4年を迎えた。殺害された美帆さん=当時(19)=の母親が、「今の気持ち」とする手記を神奈川新聞社に寄せた。 【遺族提供写真】在りし日の美帆さん  ―美帆さんは、冬晴れの日に誕生した。1歳上の兄に次ぎ、「待ちに待った女の子」だった。母にとって、自閉症やてんかんについて教えてくれた「先生」でもあった。  美帆に会いたいです。会いたくて、会いたくて仕方ありません。時がたてば経つほど会いたい気持ちが増すように思います。でも会えなくて、悲しさや淋しさが押しよせてきます。  ―あの日。早朝から、携帯電話がしきりに鳴った。テレビの速報で事件を知り、園に駆け込んだ。入所者名簿に記されていたのは「×」。死亡を覚悟した。冷たくなった美帆さんと再会すると、頭痛に襲われ、診療所に運ばれた。  7月近くになると、毎年、身体も心も重くなります。できていたことができなくなります。とても不安が強くなります。事件の翌年は7月のカレンダーを見ることができず、破って捨てていました。今は見ないように過ごしています。あの年から、私は7月が嫌いになりました。  ―裁判で植松聖死刑囚(30)は「長年育てたお母さんのことを思うと、いたたまれません」と、人ごとのように言い放った。母は法廷で直接、「あなたに極刑を求めます」と宣告した。  裁判は空しいものでした。私は犯人が間違ったことを認め、亡くなった19人、怪我をした27人に謝ってほしかった。でもそれは無理でした。  ただ控訴しなかったのは罪の重さや自責の念が多少なりにもあったのではないか。自分の意見が破綻していたことも多少はわかっていたのではないかとも思います。  彼は拘置所の中で初めて自分の話をきちんと聞いてくれる人達に出会ったのではないでしょうか。裁判中もたくさんの人が彼の話を真剣に聞いてくれて嬉しかったのではないでしょうか。私は、法廷では顔を見ず、声を聞いていただけですが、「はい」と元気よく嬉しそうに話していたように感じました。言いたくないことは誤魔化していましたが。  ―大麻の乱用や犯行予告を知っても、両親や友人は親身に取り合おうとしなかった。  彼は「両親にはいろいろしてもらった」と言い「具体的に?」と聞かれると「大学にいかせてもらったり、塾にいかせてもらった」と言っていました。でもそれは、物理的なことで、お金があれば誰でもできることです。私が親だったら大麻を勧められた時に警察に連れて行きます。逃げたら「捕まえて下さい」とお願いします。かわいい息子なら心を鬼にしても更生させます。  友達が沢山いたようですが、本当に彼のことを思い心配してくれた人はいたのでしょうか。上辺だけの薄っぺらい付き合いの知りあいばかりだったのではと思いました。  彼はお金では買えないもの、愛情とか思いやりの心、人を大切に思う心、無償の愛のような目では見えない大切なものがわからなかったのではないか、彼は心(気持ち)が成長しないまま、大人になってしまったのではないかと思いました。  ―裁判で美帆さんの呼称は当初、「フルネームか匿名」に限られ、やむなく「甲A」とされた。母は「生きた証しを残したい」と求め続け、横浜地裁は審理途中で受け入れた。  裁判と社会に「美帆」の名と写真を4枚出せて良かったと思っています。たくさんの方に覚えて頂けたこと、裁判員の方にもこれまで見えてこなかった被害者のことが少しはわかってもらえたのではないかと思いました。  後悔はしていません。たくさんの方に覚えて頂き、その方々が美帆のことを思いだしてくれる時、美帆は生きているわけですから。本当にいろいろな方々に見て頂き、覚えて頂いてありがとうございます。  ―津久井やまゆり園は再建が進み、入所者の仮移転先に芹が谷やまゆり園(横浜市港南区)が新設される。  やまゆり園が再生を目ざすのであれば、日本一、いや世界一いい場所だと誰もが思うような、安全で安心な施設にして下さい。切に願っております。  ―美帆さんの名前を公表したのは、差別の克服を願うからこそだ。コロナ禍は感染者や周辺に対する誹謗中傷、人種差別をあぶり出し、さらに「命の選別」も危ぶまれている。  今、コロナで医療従事者の方への差別があります。感謝しなければならないのに悲しいことが起きています。アメリカでは人種差別で黒人の方が亡くなっています。肌の色が違うだけで同じ人間なのに、なぜ差別されなければならないか。日々悲しくなります。  差別は容易になくならないでしょう。でも少しでも減ればいいと思います。差別をされる方も悲しいし、人を差別して本当に気持ちいい人はいないと思います。  これからどうしたらいいのか、日々考えながら過ごしています。心穏やかに過ごせる社会になればいいと願っています。 =原文まま

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