「メンタライゼーションでガイドする外傷的そだちの克服」  崔 炯仁 著  の紹介です!

「メンタライゼーションでガイドする外傷的そだちの克服」  崔 炯仁 著  の紹介です!

2021年8月22日 未分類 0

崔 炯仁先生は、京都で長い間臨床医として多くの患者を診てきた方です。2020年1月の「こころの科学」という雑誌に、「摂食障害とメンタライゼーション~外傷的そだちの生きづらさに光を届ける」というテーマで先生の考えを述べていました。

専門的用語の解説も含めて先生の考えの一部を私なりにまとめてみました。

メンタライゼーションとは、「自己・他者の行動の背景にある心理(考え・感情・欲求・願望・信念)を理解しようとすること」を意味します。心を理解しようとする姿勢は、考えること、行動する事につながり、その人の不快な感情を調整する力、そして行動主体の感覚の獲得に重要な貢献を果たす。一方で外傷的そだちの中では、養育者から適切なミラーリング等を与えられないだけでなく、虐待的養育者の心理をメンタライズすることを回避することでどうにか心理的生存を測ろうとするため、メンタライジングの成長が著しく阻害され~。

*外傷的育ちとは、幼少期に受けた虐待、過度な支配や自主性の制限、愛着関係のはく脱など外傷的な養育体験とその影響を指します。

*ミラーリングとは(ちょっと説明が長くなりますが)
乳児には、~(中略)。生理的な刺激や内臓刺激、「熱い」とか「お腹のあたりが痛い」とか、例えば心細い状況で「胸の辺りがきゅっと締め付けられるような感覚」があるだけです。その時々にそれを体験している自己が、下図の右側の大きな楕円「身体の苦痛だけの自己(身体的自己)」です。
生理的な刺激などに伴う苦痛・不快な情動を感じた乳児は、泣いたり手足をばたつかせたりと、非言語的な表現でそれを伝達します。
それを受けた養育者は、まずその不快な情動に共鳴します。
次に今子供の中で何が起こっているのか、その苦痛がなんであるのか省みます(リフレクト)。これは養育者自身の心に、子どもの心のジオラマを作り上げること、または作り上げた心のジオラマを見渡して探索する(メンタライズする)ことです。
そして、最後に省みて消化された情動を、子どもが鏡で見るように子供に示してあげます(ミラーリング)。
この健康なミラーリングには2つの特徴があります。1つ目は「実情に随伴した~」、つまり子どもの苦痛の中身の実情に伴っている、即しているという点(随伴性)です。随伴性(伴っている度合い)は「高いが、でも完全ではない」くらいがちょうどよいとされています。あまりに的外れだと不快は収まりません。しかし逆にズバリ一致しすぎると、子どもはこの情動が自分だけのものだということが分からなくなり、自分の情動はすべてお母さんも共有してくれている、とか、この情動が自分のものかお母さんのものか分からなくなる、という感覚を持ってしまう恐れがあるのです。
2つ目、養育者から示された感情が子ども(自分)の感情なのか、養育者の感情なのかを混乱しないように、「これはお前の感情だよ」という「標識(マーク)付き」で示してやらなければなりません(有標性)。その時に大切になるのが「遊び心」です。子どもが転んで痛がっている時に、親の方も感情移入しすぎてまるで自分が痛がっているかのように痛がるのではなく、「アララ、イタタタね~」とか、「あらら、悪い椅子さんね、メッ!」などと遊び心を持って、子どもにミラーリングしてやることで、子どもが今ミラーリングされている情動が自分のものであることが自然と分かるのです。
このようにうまくミラーリングしてもらうと、子どもの体の苦痛は徐々に低下していきます。ミラーリングが乳児に「行動主体」の感覚や自己コントロールの感覚という本質的に快いものを生み出すためです。すると子どもは養育者がミラーリングして返してくれた自分のジオラマを取り込み、内在化して自分の中に「自分の心の状態の表象」を持つようになります。これがしっかりとした心理的自己です。これを持ち、育てることによって(行動主体自己)へと成長していくのです。子どもは自分の苦痛が起こるたびに、「これが空腹」「これが怒り」、もうすこし年長になれば例えば「僕はいま嫉妬してしまっている」という風に自分の「身体的自己」に起きる情動に伴うなんだかわからない身体的苦痛に光を当てて見わたし、「わかる」能力=メンタライズ力を身に着けていきます。

*ジオラマとは はじめ乳児の内的世界には心のジオラマがありません。「心理状態の表象=心のジオラマ」を持つということは、自分の心のどこで何が起こっているかが分かる・考える・対処し、不安や恐怖感を小さくする(感情調整する)ことにつながるのです。

第Ⅱ部 外傷的育ちの治療と支援 では、その第9章でメンタライゼーションに基づく治療(MBT)の事が書かれています。
第Ⅲ部 さまざまな現場で外傷的育ちを生きる人を支援する
(学校)は外傷的養育環境のただ中にある子供のシェルターとしての役割もあり、現在進行中の虐待を発見できる場でもあり、先生方の役割は年々重くなる一方です。~まず「今どんな気持ち?」「その時どんな気持ちだった?」と子どもたちや自身の感情を言葉にする1つの会話を日々の教育に差し挟むことから始めていただきたいと思います。その一歩先の取り組みを、先生方の残業を増やさずに(過労は教師のメンタライズ力を下げます)ひろげるためには、「心の教育(育成)」を知育・体育・徳育と並ぶ教育の重要な柱とする視点を教育行政に加えていただく必要がありますし、~
(家族の援助)この分離のために親が与えてやれることは何もない(思春期以降)

あとがき 
BPD(境界性人格障害)をはじめ外傷的育ちを生きた人たちの治療は一筋縄ではいかない困難なものですが、彼・彼女らは一度自分の足で勝ち取った「本物の一歩」は、もう二度と後退しないという面があります。本書の内容である分離とメンタライジングを促す関わりが、彼・彼女たちの心に打てば響くように共鳴し、腑に落ちていき、その「一歩」を引き出していく様を何度も目撃したのです。外傷的育ちは一歩ずつ克服していける、そう実感するたびに、何とか最後まで書き上げなければならないという思いを新たにしました。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です